西暦236年の出来事 〔出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』〕
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西暦236年の主な出来事
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3世紀の主な出来事
204年 - 遼東の公孫康が楽浪郡の南に帯方郡を設置。 208年 - 中国で赤壁の戦い。劉備・孫権連合軍が曹操を破る。中国は三分の形勢となる。 212年 - カラカラ帝がローマ帝国の全自由民にローマ市民権を与える(アントニヌス勅令)。 220年 - 曹丕が後漢の献帝を廃して魏王朝を立てる(- 265年)。 220年頃 - ゴート族、東西に分裂。 221年 - 劉備が蜀(蜀漢)を建てる(- 263年)。 222年 - 孫権が自立して呉を建てる(- 280年)。三国時代が始まる。 226年 - サーサーン朝ペルシアがパルティアを滅ぼす。 230年 - ゾロアスター教がサーサーン朝の国教となる。 235年 - アレクサンデル・セウェルスが暗殺されマクシミヌス・トラクスがローマ皇帝となる。軍人皇帝時代始まる(- 284年) 238年 - 遼隧の戦いで遼東の公孫淵が司馬懿に滅ぼされる。 239年 - 倭の女王卑弥呼が帯方郡に使者を送り、魏の明帝への奉献を願う。帯方郡の太守である劉夏は使者を魏の洛陽へ送る。明帝は詔して、卑弥呼を「親魏倭王」とし、金印紫綬・銅鏡100枚を授ける(魏の景初三年『三国志』魏書・東夷伝)。 243年 - 倭王が魏に使者を送り、生ロ・倭錦などを献じる(魏の正始4年、『三国志』魏書・小帝紀、同東夷伝)。 245年 - 魏の少帝、倭の大夫に黄幢を授け、帯方郡を通じて伝授させることとする(魏の正始六年、『三国志』魏書・東夷伝)。 247年 - 倭の女王卑弥呼、倭の使者を帯方郡に遣わし、狗奴国との交戦を告げる。魏は、使者を倭に派遣し、詔書・黄幢を倭の大夫に与え、檄をつくって告喩する(魏の正始八年、『三国志』魏書・東夷伝)。 248年 - ローマ皇帝ピリップス・アラブスによるローマ建国一千年祭が行われる。 248年頃 - この頃、女王卑弥呼死す。その後、卑弥呼の宗女壱与(または台与)が女王となる。 249年 - 魏の司馬懿がクーデターを起こし、曹爽らを誅殺(正始の政変)。 250年頃 - サーサーン朝・シャープール1世がインドのクシャーナ朝を破る。 260年 - シャープール1世がエデッサの戦いでローマ帝国のウァレリアヌス帝を虜囚とする。 260年 - 魏皇帝の曹髦、司馬昭を殺そうとして逆に殺され、曹奐が皇帝となる。 261年 - 鮮卑索頭部の拓跋力微が魏に入貢する。 263年 - 魏が蜀を滅ぼす。魏の司馬昭が晋公となる。 264年 - 魏の司馬昭が晋王となる。 265年 - 司馬炎(武帝)が魏に代わって、西晋を立てる(- 316年)。 266年 - 倭の女王が晋に使節を派遣する(『日本書紀』の神功紀66条に引く晋起居注。『晋書』武帝紀、西晋の泰始二年)。 267年 - パルミラ王国の実権をゼノビアが掌握する。 268年 - 晋が泰始律令を公布する。これは、体系的な統一法典としての最初の律令。 269年 - ウァレンティアヌス(聖ヴァレンタイン)がクラウディウス・ゴティクスの迫害を受けて刑死。 271年 - サーサーン朝のシャープール1世がジュンディーシャープールに医学教育のための学院を設置。 272年 - ローマ皇帝アウレリアヌスがパルミラ王国(273年)、ガリア帝国(274年)を平定して、ローマ帝国の再統一を達成。 273年頃 - マニが刑死。 280年 - 晋が呉を滅ぼし中国を統一する。 284年 - ディオクレティアヌスがローマ皇帝に即位(- 305年)。専制君主制を導入する。 293年 - ディオクレティアヌスがローマ帝国の四分統治(テトラルキア)を始める。 300年 - 晋で八王の乱が起こる(- 306年)。 この頃、日本では銅鐸・武器系祭器による祭祀が終わる。北部九州の甕棺墓も衰退する。西日本各地に、特殊な壺形土器、器台形土器を供献した墳丘簿(首長墓)が現れる。 238年 - 呉の「赤烏元年(238)」の紀年銘を持つ画面帯神獣鏡出土する(山梨県西八木郡鳥居原きつね塚古墳)。 239年 - 「景初三年」の紀年銘を持つ神獣鏡が、大阪府和泉市の和泉黄金塚古墳と島根県大原郡の神原古墳から出土している。 240年 - 「□始元年」の紀年銘を持つ三角縁神獣鏡が、出土する(群馬県高崎市の芝崎古墳と兵庫県豊岡市森尾古墳)。 244年 - 「□烏七年」の紀年銘を持つ画文帯神獣鏡が、兵庫県宝塚市の安倉古墳から出土している(呉の赤烏七年)。 マヤ文明が興る